母が認知症になりました。
そして、脳出血で倒れました。
認知症の原因となるアミロイドベータというタンパク質が、脳の血管に沈着し狭まった所に高血圧が重なって出血したのではないかと言われました。
今、母は脳内の血を取り除く手術を受けて脳卒中センター(SCU)で療養中です。
倒れてから4日目の今日は起き上がって話すことができました。
言語野にダメージがあるので意味が通じない部分が多いのですが、口調や言い回しは元気な頃の母でした。
運動野はダメージを免れたのでリハビリすれば動けるようになりそうです。
希望が見えてきました。
現在の私の状態は、常時涙腺崩壊状態です。
涙はこらえていますが、ふとしたきっかけで涙が溢れてきます。
「10秒で泣ける天才子役」も真っ青な「0秒で泣けるおっさん」です。
不思議と、文章にしていると落ち着くのでこれまでの経緯を書いてみることにしました。
小世界とは全く関係がありませんが、当分小世界研究所には復帰できそうもないので、しばらくは母の闘病記を掲載させていただきます。
同じような事態に直面した際の助けとなれば幸いです。
経緯
半年ほど前から母の認知症の可能性を感じていました。
帰省の際に家の修繕をしたことや、同じお土産に何度も同じ感謝を伝えてくるので、記憶に問題が出てきたと感じていました。
「認知症の可能性があるから脳神経内科を受診してみない?」と言ったのですが、自分が認知症かもしれないと思うと心配になってしまうようで「いやぁー」と言っていました。
「今度、T先生の所に行くのはいつ?
T先生に「最近物忘れが多くて心配だからC病院で診察を受けたいんです」
って言ってみてね。
「それなら角が立たないからいいね」
という会話をして、数日後にT先生の診察を受けました。
「どうだった?」
「『あーいいのいいの そんなのいいよ』 って取り合ってくれなかった。
だからもういいや」
「え~僕のこと忘れちゃったらやだよぉ」
「わすれないさぁー」
こんなやり取りがあって脳神経内科の受診には至りませんでした。
今にして思えば、この時点で脳神経内科を受診していたら、今の状況に陥ることは防げていたかもしれません。
それから数カ月後の5月8日から3日間、夫婦で親戚の法事で富山へ行くことになりました。
この時、父も母の物忘れに危機感を持っていて「お金のことは俺がやるから」と言ったそうです。
まあ、今まですべて母任せで生活してきたので、任せろと言った旅費を引き出したのは母だったのですが・・・・
5月8日に1つ目のハプニングが起きました。
父が風呂で溺れかけたのです。
高血圧の薬を飲んだあとで長風呂をして、のぼせて溺れる寸前の父を様子を見に来た母が見つけました。
親戚の奥さんが養護教諭だったのですぐに処置してもらい、救急搬送されました。
救急車の中では、片目の瞳孔散大という状態だったそうです。
両手を上げて保つという指示には反応していたので意識はある状態でした。
この時母が救急車に同乗したのですが、翌日母はこの事を忘れていました。
父はCT、造影CT共に異常なしとの診断で夜中に帰宅しました。
翌朝、母と電話した時点では
「お父さんあんな事があったのにピンピンしてるのよ
夜に一人でトイレに行ったんだって」
と話していたのですが、その後に養護教諭の親戚と話をしたときには、昨日の救急搬送の件の記憶はなくなっていたそうです。
「おじさんの事話したらびっくりされちゃって」
「おばさんの記憶が飛ぶのは知ってらっしゃる?」
と言われました。
「脳神経内科受診しようって言ってるんですけど、本人が嫌がってるんですよね」
母との電話のやり取りのなかで、「明日お父さんと帰るから」と言っていたので
あれ?明日が法事で明後日帰るんじゃないの?と思ったのですが、急遽帰るのかと思い翌日の電車で実家に向かうことにしました。
しかし、第二のハプニングがその日の夜に起きていました。
夕食中に母が倒れたのです。
「おばさんご飯食べながらうつらうつらし始めて、嘔吐の反応があったんだけど吐かなくて、何回かそんな事があった後で倒れちゃって、
脈を取ったら脈がないから胸骨圧迫10回で意識が戻って
救急車が来たときは意識があって歩ける状態で、おばさんは乗らないって言ってたんだけど救急搬送してもらったの」
と連絡を受けました。
この知らせを受けたのは昼過ぎで、私は名古屋駅にいました。
倒れた時点で教えてほしかったな、というのが正直なところですが、倒れたのが専門家の家で良かったです。
感謝しかありません。
急遽、行き先を富山に変えることも検討したのですが、両親ともに今は元気にしているとのことなので、そのまま長野の実家に向かい、翌日の朝の電車で富山の両親を迎えに行くことにしました。
その夜は翌日の食事を作りました。
ヌメるスポンジと臭うたわしを捨てながら「きれい好きなのにな?」と思いました。
物置には90リットルのゴミ袋がいくつも置かれていて、古新聞の束も山積みになっていました。
翌日は両親の帰宅コースを逆に辿ってエレベーターやバス停、駅での休憩スペースをチェックしながら富山に向かいました。
富山駅で対面した両親は共に元気そうで安心しました。
母は自分が救急搬送されたことを覚えていませんでした。
「お母さん 昨日心臓止まって T子さんに心臓マッサージしてもらって助かったんだよ」
「え!?そうなの?ぜんぜん覚えてない」
「お父さん倒れたのは覚えてる?」
「あんまり覚えてないなぁ
お風呂が長いから見に行ったら顔だけ出してて 大声だしたらT子さんたちが引っ張り上げてくれたのは覚えてる
そのあとはよくわからない」
駅まで送り届けてくれた親戚夫婦からは「おばさんの記憶が飛ぶのはご存知?」と再度言われました。
数日接しただけでも気になる程度に症状が出ていたということです。
親子三人で実家に帰りました。
元々、翌々日にT先生の診察を受ける予定が入っていたのですが、母親の方は心臓が止まった事が気になったので予定を早めてもらい、帰宅翌日にT先生の診察を受けることにしました。
そこでまたハプニングです。
でも、これは吉と出ました。
T先生が体調を壊されてT医院が閉院することになっていたのです。
残務処理のためにT先生の娘さんが臨時で診察してくださいました。
「T先生に物忘れの事で脳神経内科を紹介してと言ったら取り合ってくれなかったんですよ」
と伝えたところ
「あら、そうだったんですか
C病院の脳神経内科に紹介状書きますね」
と言っていただけました。
T先生だったら一悶着あったかもしれません。
C病院の脳神経内科の受診日は5月26日に決まりました。
5月26日
ちょっと不安そうな母とよくわかっていない父を連れてC病院へ向かいました。
私と母が診察室に入り、母の認知症検査が行われました。
今から言う言葉を覚えてください
「たぬき たんぽぽ 自転車」
「たぬき たんぽぽ なんだっけ」
「むりしなくていいですよ
ヒントは乗り物です」
「自転車だ」
「時計の絵を書いてください、今10時10分です」
「ここに文章を書いてください」
ここに文章を書けと言われました
「達筆ですね」
という感じで検査が進みました。
「結果を言うと ちょっと物忘れが進んでるかなという状況です
息子さんにお聞きしますけど、薬とかの話はご存知ですか?」
「治りはしないけど、止められると聞きました」
「・・・止めることはできないんです
普通の生活ができる期間を1年ちょっと、人によっては10か月延ばす事ができるという薬なんです。
飲み薬ではなくて点滴で入れる薬なんですけど、二週間に一回点滴することになるんで
最終的に薬を使う人は10人に一人くらいなんです」
「薬も全員使えるわけではなくて、検査した結果によっては使えない場合もあるんです
今度MRIをとって詳しく調べてから決めましょう」
あぁ・・・・
そうだったのか・・・・
テレビって嘘ばっかりなんだなというのが感想でした。
6月23日にMRI の予約が入りました。
これで、MRIの結果を見て治療方針を決めて行ければよかったのですが・・・・
私は自分の通院予定があったので5月31日に帰宅することにしました。
31日の出発の時間まで、母とはいろいろな話をしました。
母はいろいろ忘れてしまう事を自覚していて、心配に思っていましたが、学ぶ意欲は旺盛でいろいろ勉強したいと言っていました。
新聞広告に「100日でネイティブ並の英語が身につく」という広告を見つけて
「本当かな?」
「嘘じゃろな」
「できなかったらお金返せって言ったらいいね」
「『みんなできてますよ。あなたの問題でしょ』」って言われるわ」
「何か月もミシン使ってなかったら使い方忘れちゃって
でもね、説明書読んだら 読んでないところがいっぱいあって それ読んだら前大変だったのが簡単にできるようになったの」
「忘れてよかったな」
「あなたにもらったパズルどうしてもできなくて
もういいやってなるんだけど
どうしてもやりたいって思うの」
「明日一緒にやろうな」
なんて話をしていました。
出発の日は玄関と床の間の生け花を生け直しました。
庭のキショウブを取ってきて
「お母さんがお花教えてたでしょ
わたし、小学生なのに お母さんが見てこいって言うから
『こんな切り方してた』とか告げ口してたの
生徒さんは腹たっただろうなって思うの」
「でも、あれだけやったのにうまく生けれないな」
母が生け花をする様子をビデオに撮りながらそんな話をしました。
「じゃあまた今度は20か21日にくるでね」
「じゃあね~」
といってタクシーに乗り込みました。
二週間前に心臓が止まったとは思えない元気さで安心して分かれました。
母は一日2回服薬する必要があります。
忘れてしまうので薬を飲んだらチェックする表を作って冷蔵庫に貼っています。
目薬は開封後一ヶ月で新しいものに変える必要があるので、夜に電話して新しい薬と入れ替えようねと話をしました。
ちょっと時間はかかりましたがなんとか入れ替えることができ、表も新しくすることができました。
今となっては、翌日まで残って表の入れ替えと薬の入れ替えまで一緒にすればよかったと後悔しています。
事件は翌日の6月1日に起きました。
6月1日朝 母に朝の目薬を差したか確認の電話をかけました。
「あの表のお陰でバッチリです。 ありがとう」
「新しい目薬にしたね。 表も新しくした?」
「大丈夫 バッチリよ ありがとう」
という会話をしました。
その1時間後に母に電話をかけようとおもい、見守りカメラでどこにいるか確認しました。
なにかしている時に電話がかかると慌ててしまうので、暇そうにしているのを確認してかけるようにしていました。
居間と台所に母の姿はなく、玄関のカメラに外で作業をするための完全防備をした母が映りました。
庭仕事をするようでした。
邪魔しちゃ悪いなとおもい電話をするのはやめました。
玄関の外に設置したカメラで母が庭仕事をしている様子を確認して、私も自宅の庭仕事と通院などをして過ごしました。
夕方、母の様子を見守りカメラで見てみると、居間で寝ているのが映りました。
気持ちよさそうに寝ているというよりは、疲れて寝ているという印象でした。
庭仕事して疲れたのかな?
と思い電話をかけることはしませんでした。
夕飯が済んだであろう時間に、母に服薬と目薬をしたか確認の電話をしようと思い、見守りカメラで見てみると、母は夕方と同じ所で寝ていました。
寝返りを打つ様子が見えたので生きているのは確認できました。
でも、なんだか様子がおかしいのです。
母は電話に出られる状態では無さそうなので、父の携帯電話に電話をかけました。
「お客様のおかけになった番号は、電源が入っていないか・・・・・」
父は充電が完全に切れてから充電するので電源が入っていないのです。
いつも「充電しても使えない 壊れてる」と言っています。
固定電話に電話したところ、父が電話をとりました。
「お母さん大丈夫?
なんか様子がおかしいんだけど」
「は? なんですか? おかあさん? ずっとねてるんだよ」
「ちょっと聞こえないから切ります」
といって電話を切ってしまいました。
見守りカメラで見ていると、父が目薬を持ってきて母に手渡し、母が寝たまま目薬をさしている様子が映っていました。
意識はあるということか と思いました。
もう一度固定電話に電話して
父に「お母さん大丈夫なの?」と聞くと
「今ね 目薬差したところ おふろいれるから切ります」
「ちょっと待って、お母さん調子悪いならお医者さん連れて行ってね。
大丈夫?」
「大丈夫」
といって切ってしまいました。
その後、父が支えながら母が立ち上がり少しふらつきながらも風呂に行く様子が確認できました。
脱衣所では母は父の介助を受けて服を脱ぎ、風呂に入ったようでした。
母の具合が悪いのは明らかなので固定電話に電話して
父に「お母さん昼間草取りしとったから熱中症かもしれんから水飲ませてあげて」
「はい はい もう寝かせてるから」
と言って切られました。
カメラで見ていると、父がお茶を持って寝室に向かうのが確認できました。
この時点で見守りカメラの通話機能で母に呼びかけておけばよかったと後悔しています。
おそらく、この時点で母は会話ができていなかったのだと思います。
それが確認できていたらその時点で救急要請をしていたと思います。
その日はほとんど寝られませんでした。
翌朝5時からカメラでの観察を再開しました。
普段であれば5時には起床して居間に出てくるはずです。
6時になってもどのカメラにも映りません。
6時45分の電車に乗ると最速で実家につくことが可能です。
これに乗るか、見守りカメラで見続けるか悩みました。
家を出るリミットが近づいた6時24分にやっと父がカメラに映りました。
すぐに固定電話に電話しました。
「お母さん大丈夫?」
「はぁ? なに? 今お母さんの着替え持ってくところだから」
といって切ろうとします。
「ちょっと待って! お母さん意識はあるの?」
「はぁ よく聞こえん なにぃ?」
と言って切ってしまいました。
カメラには着替えをもって寝室に向かう父が映りましたが、しばらく待っても母の姿は映りません。
これはダメかも知れない・・・・・
動悸が早くなりました。
お腹も痛くなってきた・・・・
もうこれは救急車を呼ぶしかない。
AIに遠隔で救急車を手配する方法を尋ねると
「管轄する消防本部に電話をして、『カメラで見ていて様子がおかしいので見に行ってほしい』と伝えるようにという答えが返ってきました。」
AIに実家の住所を伝え管轄の消防本部の電話番号を調べてもらい電話しました。
「私は今岡山にいるんですけど、見守りカメラで母親の様子を見ていたらかなり調子がわるいみたいなんです。 昨日の夕方くらいから様子がおかしくて 今朝はまだ姿を確認できていません。 見に行ってもらえますか」
「お母さんお一人で住まれてますか。」
「いえ 父と二人暮らしです。」
「父親の方はちょっとボケ始めてるんで状況がわかってないみたいです。」
「わかりました救急車出しますんで」
と言った感じで救急車を向かわせていただくことができました。
私は5月31日の帰宅時に重大なミスを犯していました。
物置のセキュリティーボックスに入れていた実家の玄関の鍵を持ってきてしまったのです。
タクシーに乗った時点で気づいていたのですが、
「まあまたすぐ来るからいいだろう」
と思っていたのです。
物置のセキュリティーボックスは、半年ほど前に母の認知症が心配でつけたものでした。
壁に取り付けるミニ金庫のようなもので、暗証番号で解錠して中の鍵を取り出すものです。
帰省時に、私はその鍵を自分のキーチェーンに付けていて、セキュリティーボックスに戻すのを忘れて帰宅してしまったのです。
血の気が引きました。
救急隊が来ても玄関が開けられない。
父はボケているのです。
最初に認知症を疑ったのは父の方でした。
母と「お父さん最近作り話ばかりするようになったの」
「あれはボケてるな」
という話をしていました。
そうです、ボケた人物の判断など当てにしてはいけなかったのです。
これが最大の間違いでした。
ボケた父が母の様子を察することはできないのです。
この事で父を責めるつもりはありません。
完全に私のミスです。
「ボケた人に何かを期待してはいけない」
語弊のある言い方だとは思いますが、緊急時にボケた父親の意見を求めた私の後悔の言葉です。
電話をかけても父は反応しません。
そこでやっと見守りカメラの通話機能を使うことを思いつきました。
ここまで通話機能を使うことを忘れていたのも大きなミスでした。
「お父さん! 玄関開けて!!」
「玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!」
大声で叫んでも父は反応しません。
「鍵もってきちゃった お母さん死んじゃう」
「鍵もってきちゃった」
「鍵もってきちゃった」
涙が溢れてきました。
サイレンを鳴らそう
見守りカメラのサイレンを鳴らしました。
スマホとタブレットから2台の見守りカメラにアクセスして、
2台の見守りカメラからサイレンを鳴らしても父は反応しません。
「お父さん!!! 玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!!!!!!」
「お父さん!!! 玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!!!!!!」
「お父さん!!! 玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!!!!!!」
「お父さん!!! 玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!!!!!!」
「お父さん!!! 玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!!!!!!」
「お父さん!!! 玄関開けて!!!!」
「玄関開けて!!!!!!!!!」
反応はありません
救急車のサイレンが聞こえました。
見守りカメラでの呼びかけを続けていると
「玄関開けてください」
と救急隊の方の声が聞こえました。
「鍵かかってるから窓割って!!!!」
「窓割って!!!!!」
「割っていいんですか」
「割って!! 割って!!! 割って!!!!!」
「西側の一番奥の部屋にいます! 割ってください!!!」
この時、救急隊の方々は窓を叩いて回ってくれていたようです。
「開きました!」の声が聞こえました。
窓を割ったのかと思いましたが、普段戸締りをしている母が動けなかったのが幸いして、父が窓の鍵をかけていなかったので居間の窓が開いていたのです。
窓を開けて救急隊の方が呼びかけると、やっと父がカメラに映りました。
「???」驚いた様子の父がカメラに映りました。
「息子さんが救急車呼んでくれたんです」
「〇〇が来たの?」
「そうじゃなくて 息子さんがカメラで見ててお母さんの様子がおかしいから見に行ってほしいって」
「はぁ そうなの?」
「玄関の鍵開けてもらえますか」
やっと玄関が開きました。
「息子さんがね カメラで見てたらお母さんの様子がおかしいから見に行ってほしいって救急車呼んでくれたんですよ。」
「えぇ? そうなの?」
父は母の状態が救急搬送が必要な状態だとは全く気がついていない様子でした。
救急隊の方と見守りカメラの通話機能で話をしました。
「お母さんね 右半身が麻痺してるみたいなんで搬送しますね。
今、C病院に電話してるところです。」
「先日、C病院の脳神経内科に行ったところなんです」
こんなやり取りの後
「C病院に搬送します。 後は息子さんの携帯に電話入るようにしますんで」
「よろしくお願いします」
母は搬送されていきました。
後に父と話した時に
「よくお母さんが調子悪いってわかったね」
と言われました。
父は母の異常に全く気がついていなかったようです。
救急車に乗せられて初めて大事だと気がついたようです。
カメラで見た担架に乗せられた母は、だらんとしていて全く動きませんでした。
この状態で異常だと感じられないのですから、ボケとは恐ろしいものです。
繰り返しになりますが、私は今回のことで父を責める気はありません。
彼も病気なのです。
認知症は治すことも止めることもできない病気です。
他の病気と違い、患者をどうにかするのではなく、周りが患者を支えるように変わらなければいけない病気です。
私は、この事実は周知されるべきだと思います。
「認知症の薬ができた」と報道するのではなく、
認知症は認知機能が衰えるだけでなく、脳出血のような物理的な症状が出る危険性があるということを周知するべきでしょう。
私が今回の件で唯一文句を言いたいのはT先生です。
80歳を超えた老人であれば、認知症の可能性を考えて対処すべきではなかったかと思います。
紹介状を書くだけの事がなぜできなかったのでしょうか。
75歳を超えての運転免許の更新時には認知機能検査があります。
患者が物忘れの多さを訴えているのですから、簡易的な検査をするべきだったのではないでしょうか。
当初、母は認知症と診断されるのを心配して診察を受けるのを嫌がっていました。
治せない病気と診断されるのが嫌なのは理解できます。
しかし、認知機能の低下を止めることはできなくとも、脳出血を起こさないようにケアすることはできたはずです。
私の認知症に関する理解が不足していたことが悔やまれてなりません。
急性期編へ続く
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