母の闘病記 急性期編1

 

母の闘病記


急性期編


母が搬送されてから数日はもうダメかもしれないという考えがよぎり、何を見ても涙が溢れてきました。


父や病院の方の前では泣かないようにしていましたが、パートナーと電話で話すと何故か涙が溢れて止まりませんでした。


昨日(母が救急搬送されて7日目)母に面会したところ、9割方普通の会話ができました。


単語が一つだけ出てこなかっただけで、後は完全に意味が通じており口調もいつもの母でした。


だいぶ落ち着いたので搬送後の出来事について書いてみようと思います。



6月2日早朝

母が救急搬送されていくのを玄関のカメラで見ていました。


母は担架の上でぐったりしており、全く動きませんでした。


パジャマではなく、普段来ているシャツとズボンを身に着けていました。


おそらく、父が着替えさせたのだと思います。


私が見守りカメラから大声で呼びかけてもサイレンを鳴らしても無反応だったのは、動かない母を必死に着替えさせていたからなのだと思います。


どうも、今の父は「こうしなければいけない」と思って行動しはじめると、インプットが遮断されてしまうようです。


医学の知識がないのでなんとも言えませんが、認知症の症状の一つなのかもしれません。


見守りカメラからの呼びかけの音量は決して小さいものではありませんでした。


玄関の外にいる救急隊の方と普通に会話できるレベルの音量なので十分大きかったはずです。


見守りカメラのサイレンは不審者を撃退するものなので、その音量はかなりのものだと思います。


これに気づかないのですから聞こえていないのではなくて、脳の中で信号がシャットアウトされてしまうのだと思います。



母が搬送されてから30分ほどしてC病院からの着信がありました。



Fさんの息子さんの携帯で間違いないでしょうか」


「はい! 大丈夫です」


「今お電話できる状態でしょうか」


「大丈夫です」

「私、C病院のYと申します。」


数日前にC病院の脳神経内科で診察していただいたY先生でした。


「先日はお世話になりました。」


「たまたま私が当直だったのでFさん診させていただいております。

お母様は脳出血を起こされているようで、右半身が麻痺している状態です。

脳の血管から出血して脳を圧迫している状態です。

認知症と関係のある出血の可能性があるんです。

認知症の原因のアミロイドベータというタンパク質が脳の血管に沈着して狭まっている場合、高血圧が合わさると出血する事があるんです。


脳血管外科の先生と話したところ、すぐに血を取り除いたほうがいいだろうということです。


息子さんは今こちらに向かわれていますか?」


「はい、これから電車で向かいます」


「いつ頃来られそうですか」


「最寄り駅に2時18分に着くので、そこからタクシーに乗れば2時半には着けると思います。」


「そうですか、早く手術したほうがいいということなので、息子さん来られる前に手術してもよろしいですか。」


「お願いします!」




直近の電車に乗り長野に向かいました。


名古屋まで新幹線で向かい、そこから高速バスに乗るルートと在来線を乗り継いで行くルートがありました。


いつもは名古屋からバスを使うルートを使います。

バスのほうが僅かに早く到着する事ができるのです。

しかし、出発が遅れたためすぐに乗り継げるバスがありませんでした。


在来線を乗り継ぐルートで行くしかありません。



最寄り駅から列車に乗って数分後にC病院からの着信がありました。


C病院のYです。


お母様の事で確認したいことがあります。


可能性は低いのですが、延命処置について確認させてください。

もしも、心臓が止まりましたという場合、延命処置を希望されるかどうかということなのですが、どうしますか。」


「僕が行くまではお願いします・・・・」


涙が溢れてきました。

母の延命処置について聞かれるとは全く想定していませんでした。

可能性は低いと言われていたけれど・・・・可能性はあるのだな・・・・・


もう、ただただ、早くC病院に行きたい




列車の車中では気が気ではありませんでした。


母がどういう状態なのか全くわからないので何が想定されるのかさえわからず、ただただ焦るだけでした。


母は生きているのだろうか・・・・・


流石にそんな事態になって連絡が無いことはないだろう・・・・


父が救急車に同乗しているはずですが、父が電話で連絡してくるということは期待できませんでした。


父は10年以上前から全てを母に頼って生きてきました。


電話をかける時は、母にダイヤルしてもらい相手が出たら代わってもらうという事をしていました。


最初はなんでこんな事を始めたのだろうと思っていたのですが、今考えると認知症の症状なのかもしれないと思います。


携帯電話を渡されると、トランシーバーのように顔の前に携帯を持ってきて話そうとする事がありました。


当然何も聞こえないのですが、使い方の間違いだとは思わないので「聞こえないから切ります」といって切ろうとします。


固定電話も現代のワイヤレスの受話器はうまく使えません。


そんな事が起き始めた頃はイライラしたのですが、おそらく認知症の症状なのだろうと思います。


彼の幼少期には電話などなかったのですから・・・・


こんな状況なので、私はC病院からの連絡を待つことしかできませんでした。


音量を最大にしたスマホの画面を眺めていました。



車中ではルートの再検索をして過ごしました。



当初想定していた最寄り駅は、実家の最寄り駅で、C病院の最寄り駅はその手前の駅でした。


わずか500メートルほどですが、停車時間を考えれば4分早くなります。


タクシーの乗車時間も数分短くなるはずです。


その駅は私が卒業した高校の最寄り駅でした。

10年以上前に無人化された駅でした。


駅前にタクシーは待っているだろうか・・・・


確実にタクシーが待機している次の駅まで行ったほうがいいのではないだろうか・・・・


何十年も訪れたことのない駅前の様子などわかるはずもありません。


ストリートビューで見てもタクシーの待機状況はわかりません。


タクシーを呼ぶとなると4分以上かかっていまします。


AIに聞くと「駅前にタクシーが待機している可能性が高いです」との回答がありました。


信じてよいのか・・・・



google mapのルート検索をしてみることにしました。


ここで、google mapの使いにくさが吉とでました。

出発地がGPSで示された現在地になったのです。


2地点間のルートを検索する場合、PCであれば出発地と到着地を個別に入れますが、スマホの場合は出発地が現在地となります。


出発地を現在地にしたくない場合はイライラする設定ですが、今回は吉とでました。


車でのルートが表示されたのです。


鉄道のルートでは次の駅で単線のローカル線に乗り換えることになっていましたが、自動車の場合、そこから高速道路に乗れば鉄道ルートの半分以下の時間でC病院に着くことが可能でした。


迷わず途中下車しました。


駅の南口にタクシー乗り場があることを調べていたので、迷わず南口のタクシー乗り場へ走りました。


タクシーに乗り込み

I市のC病院までお願いします。」



運転手さんは一瞬ポカンとされていました。


C病院ってI市の?」


「わからなかったらIインターで降りたら指示します」


「高速使っていいの?」


「はい、お願いします。

母が倒れて今手術を受けてるんです」


「お客さんが?」


いや・・今ピンピンしてるだろ


「いえ、母です」


「そうなの・・・そりゃ心配だね」


どうも、うまく通じていないようで、映画やドラマのように


「お客さん 飛ばしますよ!つかまっててくださいね!」


なんて事にはなりませんでした。


法定速度をきっちり守るドライバーさんでした。


おそらく記録が残るので法定速度を守る必要があるのでしょう。


次々後続車に抜かれていきます。


元ヤンの個人タクシーとかがよかったのかな・・・・


などと思いつつ、スマホで現在地を確認しつつスピードメーターをチラチラ見ていました。


そんな私の焦りにドライバーさんは気づいたようで、タクシーの速度が徐々に上がり始めました。


追い越し車線のトラックを抜き返し、追い越していった車を追い上げていきます。


詳しくは書きませんが一発免停のリスクを犯していただきました。


本当に申し訳なかったです。



Iインターで高速を降りるとすぐにC病院が見えてきました。


「あれだね 35分 S駅から35分だね」


単線のローカル線を使っていたら倍以上の時間がかかっていました。


タクシー代は18000円でした。



「ありがとうございました!」


そう言ってロビーへ走り込みました。



案内係の方に事情を説明すると


「救急車にはどなたか同乗されていましたか」


「はい 父が同乗していたはずです」


「それでしたら お父様に電話して合流してください」


父の携帯電話に電話をかけました。


果たして出てくれるだろうか・・・


数コールで父が出ました。

奇跡でした。

「お父さん 今C病院についたんだけど どこにいる?」


「えぇ? どこにいるの?」


「一階のロビーだよ」


「えぇ? C病院の?」


父の声には緊迫感はなく呑気な受け答えです


「お父さんどこにいるの」


「家に帰ってきたよ」


「そうなの? お母さんどうなったん」


「おかあさんね救急車で運ばれたんだよ」


「知っとるよ 救急車呼んだの僕だから」


「あぁそう 手術してね 今入院してる」


これ以上聞いても意味はないなと思いました。


「お父さんも疲れたでしょ お昼寝でもしといて」


「はいはい」


案内係の方に父がすでに帰宅してた事を伝えると、脳卒中センターに行くように言われました。


脳卒中センターのインターホンを押しFの息子だと伝えました。



Fさんの息子さんですね。

先生からお話がありますのでこちらへ」


S先生の待つ部屋へ通されました。


「岡山から来られたの?」


「はい 5時間かかりました。」


「うわ! 僕ならやだな」


「意外と近いですよ」


かなりフランクな先生でした。


こんな話ができるなら、命に関わるような事態ではないのだろうと思い少し安心しました。


「カメラで見てて救急車呼んだんだって?」


「はい、母の認知症が気になっていたので見守りカメラを5台つけてたんです」


「すごいね そんな事できるんだ


なんか高性能なやつ?」


「まあ、普通のなんですけど


父が状況を理解できていないみたいだったんで岡山から救急車を呼んだんです。」


「そんな事できるんだ。


お父さんはかなりまずいね。」


「人の話してることはあまり理解できないみたいです。」


「そうだよね。 半分くらい説明したところで 『はぁ?』って言われて 何だぁってなっちゃった」



で、本題は?

と思いながら雑談が続きました。



やっと手術の説明が始まりました。


「お母さんね 脳出血を起こしてました。」


CTの画像がモニターに表示されました。


「部分麻酔で手術しました。


これが出血です。 これが手術前と後ね


頭に1センチくらいの穴を開けて


ストローくらいの管を入れて血を吸い出しました。


何回か出血してるみたいで


一部は塊になってて 吸い出すというよりは掻き出す感じになりました。


8割方取り除くことができました。


ここが運動野で、手術前はだいぶ圧迫されてたんだけど 今は血を取り除いて圧迫は取れてます。


損傷も見られません。


で、このあたりは残っちゃったんだけど


このあたりが視覚野で、圧迫が残ってて


今、右の視野が欠けてる状態です。


で、このあたりが言語野なんだけど、ちょっと損傷があって言語に問題が出るかもしれません。


言葉がうまく出てこないとか 文字を読むのは少し難しくなるかもしれません。」



救急搬送時は右半身が麻痺していたので、それが解消されたのは嬉しかったです。


言語野の障害は想定外だったのでかなり気が落ち込みました。


もう、母と会話が成立しないかもしれない・・・・


母はおしゃべりが大好きです。


電話で話していて


「じゃあ そろそろ切るよ」


と言って切ろうとすると


「あぁ 聞こうと思ってたんだけど・・・・」


とまた会話が続くような事がよくありました。


あんな会話はできないのか・・・・


不安な気持ちを抱きつつ母との面会に臨みました。



脳卒中センターには、カーテンで仕切られたベッドが10台ほどあるようでした。


その一つに母が寝ていました。


右の視野が欠けているので、ベッドの左側に椅子を用意していただきました。


母は目をつぶって苦しそうな表情を浮かべていました。


「今、眠っちゃってますね」


苦しそうな母を見るのは辛かったです。


大丈夫なんだろうか・・・・・


しばらく経った時


Fさん」


と看護師さんが呼びかけました。


なにか機器を取り付けるようでした。


「はーぃ」


そう言って母は目を開け、すぐに目を閉じました。


この瞬間、母と目が合いました。



数秒後、左手を上げ何かを掴もうと手を動かしました。


私が手を取ると 強く握り返してくれました。


涙が止まりませんでした。


呼びかけに反応し、僕を見つけて手を握ってくれた。


嬉しくて涙が溢れてきました。


数分後、母は眠り始めたようで手から力が抜けました。


母は生きていて、私を認識する事もできる


少しだけ希望を持つ事ができました。


しかし、この時点では母がどの程度回復するのか全くわからず、不安な気持ちでいっぱいでした。


看護師さんから、血圧がとても高いので再出血をしないようにケアしていると説明を受けました。


面会後、たくさんの入院手続きの書類にサインをしました。


父が付き添っていたのに私に手続きを回してきたということは、皆さん父の危うさに気づいていたようです。


今後の治療について、父にしたのと同じ説明をしていただきました。


入院期間は最長で1か月程度を想定されていて、その後はリハビリ専門の病院に移ってリハビリをする必要があると説明を受けました。


父は同じ説明を受けていたのですが、入院期間やリハビリ専門病院の事は全く頭に入っていませんでした。


入院が1か月になるかもしれない事を話したら


「そんなに?」


と言われました。


どうも、数日で出てこられると思っていたようです。


リハビリ専門の病院に転院するということも理解できておらず。


「そこ(CTUの横にあるリハビリの部屋)でやればいいじゃないか」


などと文句を言っていました。


「お母さん家に帰れるかもまだわからないし、帰れても前みたいに家事したりはできないと思うよ」


と言ってもピンとこないようです。


20年ほど前ですが、母が腹膜炎で2か月入院した事がありました。


傷口が塞がる前に退院させられ、具合が悪くなって再入院ということを三回繰り返したのです。


その際、父は状況を理解できておらず。


退院しても具合の悪そうな母に食事を要求したり、家計簿を付けろとレシートの束を渡したりしたそうです。


その頃、すでに人の様子を察する事ができなくなっていたようです。


すでに認知症だったのかもしれません。


当時は、「なんて事をするんだ」と母と二人で猛抗議したのですが、聞く耳を持たないという感じでした。


彼としては至極真っ当な要求なので、文句を言われる意味がわからなかったのでしょう。


具合が悪いのを察知できないのだからしょうがないですね。


本当に認知症とは恐ろしい病気です。




入院二日目

翌日は父と二人で入院に必要なものを持って面会に行きました。


面会は週3回、一日二人まで、面会時間は20分です。


CTUに入れるのは一人で、二人の場合はそれぞれ10分になります。


父が先にCTUに入りました。


5分程で父が出てきました。


入れ替わりで私が入室しました。


母は苦しそうに寝ていました。


いびきをかいて、時折顔を歪めていました。


どこか痛いのかな・・・・


大丈夫なのかな・・・・


つらそうな母を見ていると涙が溢れてきました。


看護師さんがやってきて頭の頭巾を直してくれました。


髪の毛が引っ張られて母が眉間にシワをよせました。


「ごめんね 髪の毛ひっかかちゃったね」


母は反応しません。


手を握っても握り返してはくれませんでした。


母の足にはエコノミー症候群を防止するための機器が取り付けてあり、


一定間隔で空気を送り込んで足を圧迫しているようでした。


それがかゆいのか、太ももを掻きむしっていました。


体の下には床ずれを防ぐためのエアーマットのような機器が設置されていました。


空気圧で体の向きを変えているようでした。


この日の母は痛がったり痒がったり辛い表情ばかりで見ているのが辛かったです。


看護師さんから、母の血圧が安定していないと説明を受けました。


突然で血圧が200ま上がることがあるとのことでした。


どうなるんだろう・・・・


大丈夫なのかな・・・・


次の面会は金曜日になりました。


1日開くのか・・・・


帰宅しても落ち着きません。


母はいろいろ忘れてしまうので、あらゆる事をメモしていました。


そんなメモがいたるところから出てきます。


それを見つけるたびに涙が溢れてきました。


頑張っていたんだな・・・・


またここに戻ってこられるのかな・・・・


話をしたいな・・・・


一緒にパズルの続きをしたいな・・・・


この日はほとんど寝ることができませんでした。




入院4日目

父と二人で面会に行きました。


父に先に面会してもらいました。


父は5分ほどで出てきました。


特に何も言いません。


まだ具合が悪いのだろうか・・・・


手の消毒を済ませてカーテンの中に入ると


母が目を開けていました。


目を開けて私を見て笑顔を浮かべています!


二日前の苦しそうな表情はどこにもありません。


「お母さん 遊びに来たよ」


「どうもどうも すみません ほんとに」


「痛いところない? げんき?」


母は体を起こすことができました。


体についた管やテープが気になるようで剥がそうとしています。


「とっちゃだめだよー」


「どうもどうも ほんとに もー」


「げんきそうだね よかった」


「どうもどうも ほんとに」


涙が溢れてきました。


文字にすると会話は成立していませんが、母と私の間では会話が成立していました。


言語野に障害があるので言葉が出てこないようです。


言いたいことがあるのだけど言葉にならないようでした。


「ようちゅうが あれ なんだっけ


ようちゅうが・・・・・


なんだっけ・・・・」


なにか心配事があるようです。


『ようちゅう』が何かと入れ替わっているのかなと思い


「ようちゅうな 大丈夫よ」


「ようちゅう?」


母は不思議そうな顔をしています。


単純に『ようちゅう』という単語がなにかと入れ替わっているのではないことがわかりました。


母は『ようちゅう』と言っているつもりはないのです。


私の『ようちゅう』という発言は母の中では何にも結びつかないのです。


何を言いたいのかはわかりませんでしたが、完全に言葉が使えなくなっているわけではないことがわかり少し安心しました。


「どうもどうも ほんとに」


「だいじょうぶよ」


「ほんとに もー」


「だいじょうぶ だいじょうぶ なんにももんだいないよー」


「もー あれですから ねます」


看護師さんに、母が寝たいと言っていると伝えてCTUを出ました。


何を言いたいのかはわかりませんでしたが、母は言葉を失ってはいませんでした。


希望が持てる会話でした。


次の面会は来週の月曜日になりました。


2日も開くのか・・・・


心配でしたが、


この日は少し寝ることができました。




日曜日に父を温泉に連れていきました。


父は毎週近くの温泉に入りに行くのが習慣で、今週は行きそびれたのでどうしても行きたかったようです。


私も少し落ち着いたので売店を見て歩くのは楽しかったです。


母は毎週ここの売店で野菜を買っていたようで、


冷蔵庫にあったのと同じカブが売られていたので購入しました。


ここで買い物をしている母を想像すると少し涙が滲んできました。


次は一緒に来られたらいいな・・・・





入院7日目

この日も父と二人で面会に行きました。


父が先にCTUに入りました。


7-8分後に父が出てきました。


例によって特にコメントはありません。


すぐにCTUに入りました。


今日は起きているかな?


カーテンをくぐると、母がこちらを見ていました。


笑顔を浮かべて私を見ています。


「おかあさん あそびにきたよ」


「ありがとう ほんとにめいわくかけて ありがとう」


「ぜんぜん もんだいないよ」


「いやーふしぎで どうしてこうなったか」


「びっくりしたな」


「いやーほんとに どうしてこうなったか」


「びっくりしたね しらないうちにここで寝てたね」


「そう ふしぎでふしぎで」


「おきたらしらないひとばっかりだったね」


「ほんとほんと いやーふしぎで」



母は体を起こすことができました。


話しながら体を起こし足をベッドの柵からだして座りました。


前回の面会時の様子からは想像もできないことでした。




前回の面会の時に、看護師さんから母が父のことを心配しているようだと聞いていたので、


日曜に父と温泉に行った際に撮った写真を見せてみました。


「日曜日にお父さんとO温泉にいってきたよ」


「そうなの」


「ほら これおさんぽしてるところ」


「へぇー」


「お昼はレストランでおそば食べたよ」


「はぁー そうなの」


ご飯の事を心配しているだろうと思って食事の写真も見せてみました。


「これが朝ごはん、これはお昼、これは晩ごはんね」


「いやー そうなの あれまー」


「これはお母さんが作ってくれたたカトルー(スリランカ料理)だよ」


「そうなの? わたしがつくったの?」


「そうよー お母さんいろいろ作ってくれてたよ」


「ほんとにー? そうなのぉ?」


「これはYさん(私のパートナー)が作って送ってくれた豆ご飯だよ」


「いやー ありがとうございます」


Yさんねご飯炊いておむすびにしておくってくれたんよ


おかずとケーキも送ってくれたよ」


冷凍庫に一杯のおむすびとおかずの写真を見せました。


「いやー ありがとう ほんとに ありがとう」


「おいしいもんいっぱい食べてるからあんしんしてね」


「ごめいわくおかけして ほんとにありがとう」


写真はあまりよく見えていないようでしたが、よく見ようと顔を近づける仕草は元気な頃の母と同じでした。


「それにしてもふしぎで なんでこうなった」


「おかあさん ここ来る前の日にくさとりしとったじゃろ


それでつかれたんよ」


「えぇー そうなの?」


「お庭きれいになっとったよ」


「ほんとー?」


「一緒に植えたお野菜もおおきくなっとるよ」


「えー わたしがうえたの? ほんと?」


「そうよー 一緒に買ってきて植えたんよ


トマトとバジルとイタリアンパセリ」


「ほんとう? おぼえてないな」


「いいのいいの じょうずにしとったよ」


「ほんとう?」






しばらくこんな会話を続けていると


「えー なんだっけ なんだっけ・・・」


なにか言いたいのに言葉にならないようです。


「だいじょうぶよー もんだいないよー」


「そうなの」


「だいじょうぶ だいじょうぶ」


面会の時間が終了しました。


「またくるでね ばいばい」


文字にするとたどたどしい会話のようですが9割方普通の会話をすることができたと思います。


かなり希望の持てる面会でした。


看護師さんから、動けるようになったので転落のリスクが高くなってしまったと伝えられました。


危なくないようにカーテンを開けて見えるようにしてくれているとのことでした。

数日前の苦しそうに寝ていた母からは想像もできない回復ぶりでした。




入院9日目

この日も父と二人で面会にいきました。


今日の担当の看護師さんから


Fさん今リハビリ中なので戻られたらお知らせしますね」


と伝えられました。


「もうリハビリできるんだ すごいな」


「どこでやってるんだ」


「そこかな あれはじいさんだな」


父とそんな会話をしていると、点滴スタンドに捕まって歩いている母が見えました。


母は理学療法士さんに付き添われながらゆっくりとCTUに向かって歩いてきました。


「おかあさん来たよ」


どうもフロアを一周したようです。


母はこちらには気付かずゆっくりとCTUの前まで歩きました。


「ここですか? あーここね」


そう言ってCTUに入りました。


Fさん準備できたらお呼びしますね」


母が歩けていることにびっくりしました。


月曜日の母は動けはしましたが、起き上がるには介助が必要で、ベッドから下ろした足には力が入っていないように見えました。


そんな母がわずか2日で歩けるようになっていたのです。


今日の面会はCTUの外で行いました。


点滴スタンドに捕まった母が廊下のベンチまで移動して、親子三人での面会が実現しました。


「まあまあ おせわかけます」


「だいじょうぶよー げんきそうだね あるけるなんてすごいね」


「おかげさんで ありがとう」


「よかったね」


「どうしてこうなったか ふしぎで ふしぎで」


「おかあさんお庭してつかれたんよ ゆっくりしてね」


「そうなの? ほんと?」


「お庭きれいになっとったよ とうぶんくさむしりせんでいいよ」


「ほんとう? そうなの? ふしぎでふしぎで」


今日の母は言いたいことがあるようですが言葉が出てきません。


「や・・・ や・・・・ なんだっけ・・・・」


「野菜だろ 裏のいろいろ持ってきてくれるSさん このあいだもフキ煮たのもってきてくれて」


父がべらべらと喋りだしました。


「お父さんそれ違うから 止めて お母さん思い出そうとしてるんだから黙って」


父は不満そうです。


こんな状況で近所の知り合いの話などするわけがないのに、自分の推測は当たっているのに邪魔されたと思っているようです。


「ゴ・・・ なんだっけ・・・・」


「碁だろ 囲碁のMさんいつも車で迎えに来てくれる*******」


また父が見当外れな事をペラペラと喋り始めました。


「お父さん止めて お母さん言葉がでてこないんよ お父さんが思ってることとちがうから止めて 待ってあげて」


父は不満そうにだまりました。


こんな状況で父の知り合いの話などするわけがありません。


初めて親子三人で実現した面会でしたが父のお陰で台無しでした。


空気の読めない父が言葉の出てこない母とコニュニケーションを取ることは不可能です。


これまでも、父はこんな調子で面会していたのだと思います。


だから、いつも面会時間が短かったのでしょう。


ベッドサイドでの個別の面会のほうがよかったです。


次からそうしてもらおうかなと思いました。




面会後、ソーシャルワーカーのSさんのお話を聞きました。


Sさんも母の回復の早さには驚いていました。


ただ、ここでのリハビリは寝たきりになるのを防ぐためのリハビリです。


Sさんから回復期のリハビリについての説明がありました。




「ここは急性期の病院なので、日常生活に戻るためのリハビリはリハビリ専門の病院で行います。


M町にあるK病院に転院してリハビリをすることになります。


最初の三か月がリハビリの黄金期と言われていて、この間にけっこうみっちりとリハビリをしていきます。」


K病院のリハビリ科は患者の目指すレベルに合わせて実践的なリハビリまで行ってくれるところです。


転院申請の書類の目標には『日常生活の自立』と書きました。


転院は月末近くになるのではないかと言われました。


とても嬉しい展開なのですが、母は認知症であるということを忘れてはいけません。


父はリハビリで母が元通りになると思い込んでいるのですが、認知症は現在進行系で進んでいます。


身体的なリハビリで身体機能が改善しても


『元の母には戻らないのです』


黙っていても好きな食事が用意され、ゴミは置いておけばなくなり、知らないうちに現金が用意されているという事は、今後はないのです。


母が元通りに戻ると思い込んだからか、父のわがままな面が戻ってきました。


以前から、父は朝食のメニューが気に入らなかったり、お茶がなかったりすると母にきつく当たっていました。


その事で私はいつも父と喧嘩をしており、帰省して三日目には口を聞かなくなるという事を繰り返していました。


5月のはじめに両親が倒れて富山に迎えに行ったのを機会に、

父に母は認知症なので今後家事はできなくなる事を伝え、

母が朝食を作ってくれるのは後何回かわからないんだと数回繰り返し伝えたところ、


母に対する態度が丸くなりました。


母も「あなたが来てくれてから(富山に)お父さん優しくなった 嬉しいのかな」と言っていました。


事実はそうではないのですが


「よかったなぁ」


と話していました。


このまま平穏に時が過ぎればよかったのですが・・・・


母が脳出血で倒れ状況が変わりました。


母が入院した当日から私が家事を担うことになったので、父の日常生活にはなんの変化もなかったのです。


せっかくの母のありがたみを痛感するチャンスがなくなってしまったのです。


私は元々家で仕事をしていたので、家事一般をすべてこなしていました。


私の家事スキルの高さが裏目にでました。


母がしていたように、おかずが複数種ある食事を用意し、朝食には納豆と焼き魚を欠かさず、夜のお茶を用意し、散らかったゴミも処分し、洗い物も洗濯もすべて完璧にこなしてしまったのです。


最初は殊勝な態度を取っていた父ですが、家事で困ることがなくシームレスに快適な生活を送ったせいか、ここ数日わがままを言うようになってきました。


以前、母に取っていたのと同じような態度を取り始めました。


認知症ではない息子になら、前と同じように文句を言ってもいいと思っているのでしょうか。


まあ、そんな思考を巡らせられるほど彼の脳は機能していないのですが。


条件反射のようなものなのだと思います。


母の認知症という事実で抑えられていた本能が、その枷がはずれ、再び表に出てきたという感じでしょう。


父は大学教授を努めていたせいかプライドが高く間違いを認めることのできない人です。


母が戻ってきたらすべての家事をやってもらえると思い込んでいる父に


「お母さんは前と同じように家事はできないんだよ


できることはやろうね お願い」


と言うと


「わかっとる」


とぶっきらぼうに返事をするようになりました。


わかっていると言うわりに、あいかわらず自分でしようという気はないのです。


「おーぃ お風呂入れて」


「おーぃ お茶入れて」


風呂場で使ったタオルは浴室においたまま、


紙おむつは脱衣所に放置されるのです。


母が片付けていたという認識もないのでしょう。




現在、父の介護保険の申請中です。


先日、介護レベルの判定が行われました。


暫定では要支援1だそうです。


これは一番軽いものです。


『できるけどやらない人』と認定されたのでしょう。


プロの目は誤魔化せませんね。


さすがです。


私はこれで良かったと思っています。


母が退院して介護保険の申請をし、介護レベルの判定が行われれば、確実に父より高いレベルに判定されます。


そうなれば、『母が介護される側である」とお役所のお墨付きをいただける事になります。


母の介護判定が楽しみでなりません。


ブラックな締めくくりですが、私は父に対してどこぞの神のような態度で接しています。


「おむつゴミ箱にいれてな ありがとう」


「お茶自分でいれてな ありあとう」


ありがとうのインフレです。


いやぁー マジで気が狂いそうだ。


今日の母との面会は私一人で行くことになりました。


というのも、C病院までの移動に利用していた村の移送サービスの利用回数が上限に達し、今月はこれ以上使えなくなったからです。


父は、タクシーは高いから嫌だといって面会には行かないと言ったのです。


村からは高齢者向けにタクシー券も発行されており、C病院までの往復で自己負担は数百円なのですが、父はそれを払うのが嫌らしいのです。


母との面会に数百円払うのも嫌というのは鬼畜の所業ですが、どケチ万歳です!


今月はもう父と一緒に面会に行く事はないでしょう!


よかったよかった。


転院先のK病院はC病院よりも更に遠くにあります。


移送サービスは月4回までなので、第一週さえ乗り切れば父が面会に行くことはないでしょう。


明るい未来が見えてきました。

































































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