母の闘病記 急性期編2

 今日の夕方、父と大喧嘩をしました。


まず、母の退院後の話をしていてキレられました。


その後、手を伸ばせば届く食器棚に、湯呑を『返しといて』といわれたので


「自分でやって すぐそこだから」


と言ってキレられました。


その後いろいろあって大喧嘩となりました。


暴言を吐く父にスポーツの審判のように接していたらまたキレられました。


「明日帰れ!」


「帰りません お母さんのお世話があるので帰りません」


「俺が全部やるから お前はなにもするな!」


「無理だとおもいます」


「無理だとか決めつけるな! 迎えに来てくれて感謝してたけど もう消えた 帰れ!」


「帰りません」


「お前がいると甘えてしまうから 帰れ!」


「帰りません」


という感じです。


風呂に入って頭が冷えたのか、和解のサインを送ってきたので、明日からも普通に接することにします。


彼もストレスが溜まっているのでしょう。


しかし、すべての家事をこなし、彼のすべての要求に応え、連日多くの人との打ち合わせや業者とのやりとりをこなし、仕事を完全休業している私はもっと多くのストレスを抱えています。


自分の時間などまったくありません。


そこにこの暴言です。


よく持ちこたえたと自分を褒めてあげたいです。


最後は流石に耐えかねて、


「オフロイレテクレテ アリガトウ!」


「オチャイレテクレテ アリガトウ!」


「ユノミカエシテクレテ アリガトウ!」


と大きな声で棒読みして煽ってしまいました。


まあ、このくらい彼の暴言に比べればなんてことはありません。

あぁ 腹たった。



さてさて、母の話に戻りましょう。



入院11日目


今日の面会は父抜きでした。


少し早くSCUのインターホンを押すと、


Fさん今リハビリに出ちゃってるのでそこでお待ちください。」


と伝えられました。


おそらフロアの廊下を歩いているのだろうと思い、左右をみていると


支えなしで歩いている母を見つけました。


母の後ろで理学療法士の方がサポートしてくれています。


母は窓の外や掲示物が気になるようで、道草しながら歩いています。


歩調はゆっくりで、すり足のような感じでした。


10 mほどの距離に近づいた母に手を振りました。


「おかあさん!」


理学療法士の方が気づいてくれました。


「ご親族の方が見えられてますよ」


「えぇー ほんと?」


「あっちですよ」


母が気づいてくれました。


嬉しそうな表情を浮かべて手を握ってくれました。


「お母さん 遊びに来たよ」


「あらあら どうも」


「おかあさん 歩けてるのすごいね」

「おかげさんで どうもどうも」


一度SCUに戻ってから改めて面会ということで、しばし母とはお別れです。


「ここですよ あしぶつけないようにきをつけて」


「はい」



しばらくして、母がSCUから出てきました。


「あれまー ありがとう」


「げんきそうだね いつから歩いてるの?」


「それがねー わからないんだよぉ」


「このあいだは捉まってあるいてたな」


「そう? そうだったっけ?」


「すごいなぁ」


母はなにか言いたいことがあるようです。


「にじ・・・・ん?


なんだっけ・・・・ん?」


「むりせんでね だいじょうぶよ」


「そうなの?」


「だいじょうぶ だいじょうぶ」


「はたの じょうきゅうが きんちょうしないといけなくて わかる?」


「わかるよ だいじょうぶよ」


「ようきゅうの じんろが・・・・ だめだな」


「だめじゃないよ だいじょうぶよ」


「に・・・・だめだ わからないな」


「大丈夫 わからないことはいっぱいあるからな」


「そう?」


「そうだよぉ」

「どうしてもわからないんだ なんでここに・・・」


「不思議やなぁ 嫌なことは忘れたほうがいいやん」


「そうかぁー」


「わすれてよかったなぁ」


二人で笑いました。


母との会話は具体的な内容は伝わらないのですが、やり取りはできています。


冗談を言えば笑ってくれます。


今日は父がいないので会話が弾みます。


冗談で母が笑ってくれるのがとても嬉しかったです。


しばらくして看護師さんが車椅子を持ってやってきました。


「もう終わりですか」


「すいません 検査がはいっちゃって 2階で検査なんで一緒に行きますか」


母に検査室まで同行することになりました。


Fさん ここに座って」


「ここに ほんとに?」


「そうです ここに座ってください」


「はい 次は足を乗せましょう」


看護師さんの指示はなんとか通じています。


二階へ行くエレベータを待っている時に、看護師さんが


「この人は誰でしょう」


と母に問いかけました。


「えーっと なんていうんだっけ なんだっけ」


Fだよ」


母は私の名前にはピンとこないようでした。


「息子だよ」


Fさんの息子さんですよ」


「そうだ そうだ そうだった」


母は私の名前を忘れてしまいました。


まあ、名前くらいいいか・・・・


私のことをわかってくれているのだから問題はありません。


母は検査室に入っていきました。


SCUに戻る看護師さんと母の状態について話をしました。


「母の状態はどんな感じですか」


この手の質問には答えないように指示されているようで、明確な答えは返していただけませんでした。


「やり取りはできるので、言葉が全く出ないかたよりはいいかなと思います」


「そうでうよね 単語はわからなくても コニュニケーションは取れますからね。」


「食事とトイレはご自分でできるのでいい状態だと思います」


「両方できてるんですか! それができないと家に帰れないですからね よかった!」


母が家に帰る事ができる可能性が見えてきました。


来週はSCUから一般病棟に移っていると思うとも言われました。


命に関わる状態からは脱したということです。


一安心です。



で、問題なのは父の理解です。


前回の面会時に母が歩いているのを見た父は、母がすぐに退院して帰ってきて、以前のように家事をしてくれると思い込んでいる節があるのです。


入院前はしっかり覚えていた私の名前は母の記憶からは消えていました。


体の状態は戻っても記憶は戻りません。


認知症は進行しているのです。


回復期のリハビリの病院で数ヶ月リハビリをすることになるのですが、その間にも母の記憶は失われていきます。


退院後にどれだけの事を覚えていられるのだろう・・・・


母の記憶がなくなるまでのカウントダウンは始まっているのです。


父はこの事を理解できていません。


リハビリをすれば元の母に戻ると思い込んでいるのです。


それを説明しても


「もういい わかっとる あとでかんがえる」


と言って逃げます。


父は以前から、大事な話となるといつも逃げていました。


なぜかはわかりませんが、大事な事は後回しにして、その後も触れないという生き方をしてきました。


「もう時間がないんだよ 今ちゃんと考えないと後悔するよ」


「うるさい いますぐどうこうなんてはなしじゃないだろ」


「今すぐの話なんだよ お母さんの認知症は進んでるんだよ 僕の名前わすれちゃったんだよ」


「もういい それ以上言うな」


こんなやり取りから冒頭の大喧嘩へとつながりました。


もし、今日の面会に父が来ていたら、一人で立って歩いている母を見て


「ほらみろ おれの言ったとおりだろ 母さんはすぐに退院してもどってくるぞ

家事もみんなできるはずだ」


なんて勘違いをしたのだろうと思います。


本当に父が来ていなくてよかった。


どケチ万歳です。







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