逃走!
今、実家から36キロ離れた駅にいます。
名古屋から新幹線に乗って岡山に帰ります。
なんて開放感!
今日は母の転院日でした。
朝9時に母を迎えに行き10時に転院先のS病院へ到着しました。
母は迎えに来た私を見て笑顔でした。
転院の事は分かっておらず
「これから別の病院行っていろいろ練習するんよ」
「えぇ! そうなの!?」
驚いていました。
今日は、転院に文句をつけまくった父も来ています。
退院時に大量の荷物があるのは、入院あるあるです。
600 mlのペットボトル8本、衣類、フォトブック7冊、マスク1箱などなど大量の持ち物があります。
父はただの一つも持とうとはしません。
まあ、元から戦力外なのでどうでもいいんですけど。
大量の荷物を持って一階に移動しました。
母のエスコートは父に任せました。
しかし、母の歩く速度は倒れる前に近いレベルまで回復していました。
父より歩くのが早いのです。
側から見たら退院するのは父に見えたでしょう。
ただ、手を繋いでいる2人は微笑ましかったです。
母は父を忘れてはいないようです。
ロビーで入院費の精算を待つ間、父は母にいろいろと話をしていました。
「今度行くS病院は・・・・・」
「リハビリの・・・・・・・・」
母の反応は芳しくありません。
首をかしげる母を無視して、父の話は続きます。
フォトブックを見せて話をしようかとも思ったのですが、大量の荷物の整理と支払いの手続きで手一杯でした。
精算を済ませてタクシーに乗り込みました。
後部座席に母と私が座りました。
母は、少し不安そうな表情を浮かべています。
「わかんないんだよ ここは? どうなって?」
「大丈夫よ ちょっと場所が変わるだけだよ。
次の病院もいい人いっぱいいるからな」
「そうなの?」
「大丈夫 大丈夫 心配ないでー」
母は不安そうです。
「外出るの久しぶりじゃな」
「そうなんです ほんと なにがどうなって・・・・」
不安そうなので、新作のフォトブックを見せることにしました。
「綺麗じゃな」
「すてき すてき」
「これは蝶々じゃな 葉っぱに見えるじゃろ」
「ほんと ほんと へぇー」
フォトブックを最後までめくり終わると、
窓の外を眺めて不安そうな顔をしています。
後から話を伺った主治医の先生の話では、
『高度な理解をする事ができなくなっています』
とのことなので、何がどうなっているのか分からず、
不安だったのだと思います。
病院に到着しました。
私と母はタクシーから降りました。
助手席の父はドアを開けることができず、もがいています。
ドアを開けるとヨタヨタと父がタクシーを降りました。
『入院するのはどちらでしょう』
と聞かれたら、ほぼ全員父を差すでしょう。
ロビーで看護師さんを待つ間、ベンチに座った父と母は手を繋いでいました。
これが、看護師さんに大ウケでした。
口々に
「手繋いでる!」
手を繋いだ老夫婦は微笑ましいものですね。
一般的には・・・
知らないご夫婦であれば、私もそうおもいます。
「納豆が小粒だ! 魚がない!」と言ってた母にキツく当たっていた父を見ていた私からすると
「何を今更」
と思ってしまいます。
父は自分を客観視することができないので、自分が母をどう扱っていたか自覚がないのです。
父は外面がいいのです。
無自覚なのかもしれませんが、外ではいい夫、いい父として振舞います。
父のこの外面は、この2時間後にも現れます。
談話室に通されたところで、母は体と頭の状態のチェックに行きました。
別れ際の母は少し不安そうでした。
「大丈夫よ いい人いっぱいいるからね」
私と父は、談話室で入院担当の看護師さん、言語聴覚士さん、理学療法士さん、会計担当の方、ソーシャルワーカーの方、主治医の先生の話を聞きました。
父はこれらの話を全く理解できていませんでした。
母の状態はあまり良くないようでした。
脳の障害を負った部分が重要な部位だとのことで、
高次脳機能障害との説明を受けました。
質問をされても、その質問の意味が分からないだろうとのことでした。
脳が壊れている状態なので、機能が回復する見込みはないとの事でした。
主治医の先生と、最終的なリハビリのゴールについて話し合いました。
「家事をしたりとか、以前と同じ事はできません」
「それは、認知症とわかった時点で、いずれ何もできなくなるのはわかっていたので目標とはしていません。
介助しやすい状態になれば十分かなと思っています。
『椅子に座って』と言ったら椅子に座れて、『腕を洗って』と言ったら腕が洗えるようになれば、
介助する側も、母も楽になると思うんです。」
母のリハビリのゴールは
「介助しやすい状態」
になりました。
父は何も聞いていなかったと思います。
母のリハビリが終わる頃に、
『リハビリ終了です。家事をすることはできません。』
『そんなのおかしいじゃないか!
リハビリで元に戻るんじゃないのか!』
『最初に一緒に目標をきめましたよね。
介助しやすい状態になればいいと』
『何言ってるのか全然聞こえなかった 勝手に決めるな!』
と怒るのでしょうね。
S病院のスタッフの方は、入院対象ではない父の事も気にかけてくださいました。
最終的に、母が帰宅した際に父の存在を無視できないからだとは思いますが、そこまでケアしていただけるとは、正直驚きました。
父はそんな事には気づきません。
父が何もできない(しない)という話をしたところ、
「息子さんが岡山に帰られる場合は
ショートステイを利用された方がいいと思います。」
と言われました。
私は、ここ数日、父をどうやって施設に入れようかと思案していました。
『これは、乗るしかない』
「お父さん、僕が岡山に帰るとき、ショートステイとか使ってみない?
お父さんいやだったらいいんだけど、施設に一週間とか泊まるの どうかな。」
「いいですね」
父は承諾しました。
父が、素直にショートステイの提案に同意するとは、思ってもいませんでした。
『やった! これでお母さんの介護に専念できる!』
いろいろと策を巡らせていたのが全て無駄になりました!
『あんなに考えなくて良かったんだ』
厄介ごとが一つ消えて、晴れ晴れした気持ちで帰路につきました。
父の表情も穏やかです。
後で書きますが、父とは二日前に大喧嘩をしていました。
父は、母が完治してC病院を『退院』すると思い込んでいたようで、
「お母さん 家に帰ってくればいいじゃないか なんでダメなんだ!」
と、母の転院に反対していたのです。
なんとか説得して、今日の転院に至りました。
タクシーを降りた父が、「疲れた」というので
10分で昼のうどんを用意しました。
父は麵が好きなのです。
うどんを食べながら
「お父さん こんどケアマネージャーさんが来るから ショートステイの相談していい?」
「えぇ?」
「僕が岡山に帰ってる間に施設に一週間とか泊まるの検討していい?」
父はものすごく嫌そうな顔をして手を横に振りました。
「そんなの使わなくても大丈夫だよ」
「お父さん一人にするのは心配なんだけど」
「一人でだいじょうぶだよ」
S病院でショートステイの検討を受け入れたのは、彼の『外面』だったのです。
「そう、じゃあ月曜日の面会まで用事ないから 岡山帰るね」
「いいよ」
13時18分
よっしゃ!
私は急いで二階に上がり、帰宅ルートの検索をしました。
私の好きなバスルートは16時までバスがありません。
私が嫌いな鉄道ルートは
14時10分の列車があります。
13時20分
一階に駆け下りた私は
「お父さん 2時10分の電車乗るわ」
「今からか!?」
「そうだよ」
この後は、タクシーを呼び、歯を磨き、必要なものだけをリュックに詰め込み
13時30分
玄関から駆け出しました。
タクシーが来るのにはもう少し時間がかかるのですが、
父に、何も聞かれたくない、父のために何か準備したくないという思いで、1秒でも早くこの家を出たかったのです。
バタバタと玄関を出ようとする私に驚いて、玄関に出てきた父に
「明日可燃ごみだからね 出しといて」
「どうやるんだ」
「たまってなかったらいいけど わからなかったら調べて」
戸を閉めました。
家の前で10分ほどタクシーを待ちました。
顔がにやけてしょうがありません。
『昼の食器はおいてきた! 生ごみもおいてきた! 洗濯物もおいてきた! 作り置きのサラダも食べつくした!』
ザマアミロ!
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