母の闘病記 逃走編 その後

逃走1日目


岡山へ逃走した後も、父の様子は見守りカメラで見ていました。


一番見たかった台所のカメラは壊れていました。


前々から調子が悪いとは思っていたのですが、完全に沈黙しています。


居間のカメラに、台所が僅かに映るので、台所の父の様子を見ていました。



夕ご飯は、電子レンジでご飯を温め、作り置きのスープをおかずにしたようです。


『なんとかなったか・・・』


食べないで過ごすことを危惧していたので安心しました。




逃走2日目


朝から父の観察です。


朝食は納豆とご飯と謎の汁物です。


汁物は作り置きのスープだと思っていたのですが、後に作り置きのスープは全く消費されていなかった事が判明しました。


白菜スープだったからでしょう。


父は野菜が嫌いなのです。


どうも、謎の汁物は、出汁の入っていない『味噌の水溶液』だったようです。


父は味音痴なので出汁がなくとも食べられるのだと思います。




食事以外の時間は、ネット碁をしたり、昼寝したり、いつもと同じ過ごし方です。



私は、ここ一ヶ月の疲れが急に顕在化してきました。


眠い、とにかく眠い、貯まっていた録画したテレビ番組を消化しようと思ったのですが、


気がつくと再生が終わっています。


夕方まで意識を失っていました。



カメラで居間の様子を見てみると、テーブルの上にピーナツとせんべいの袋が置いてありました。



昼食はピーナツとせんべいだったようです。




居間のカメラに、調理した夕食を持った父が映りました。


夕食も具のない焼きそばでした。




これはまずい・・・・・



ご飯を炊かせよう。


父に電話をかけました。


「お父さん大丈夫?」


「まあ、なんとかやっとります」


「おとうさん 昼ごはんお煎餅だったじゃろ」


「ははは 見えてるのか ご飯なくなっちゃった」


「冷凍庫にうどんあるし、野菜も冷蔵庫にあるよ、スープもあるし、パンでもなんでもあるよ


ちゃんと食べて」


「はいはい まあ、ちゃんとやっとります」


「野菜全然食べとらんじゃろ 戸棚に野菜ジュース入ってるから飲んで 野菜と果物のジュースだから美味しいよ」


「どこにあるの?」


長いやり取りの末、野菜ジュースを飲ませることに成功しました。




「台所にカメラ付けとるんだけど、壊れとるんじゃ


別のカメラ持っていって付けてくれたらご飯の炊き方とか教えれるよ」



「そうか」


『めんどくさい』と思っているのが伝わってきました。


「明日でいいからやってみて」




逃走3日目

朝、父に電話をしました。


「お父さん大丈夫?」


「ご飯なくなっちゃったんだよ」


「カメラ動かしてくれたら教えれるよ」


「電話の横に丸いカメラあるじゃろ それコンセント抜いて持っていって 台所のどこでもいいからコンセントにさして」


紆余曲折の末、無事台所にカメラを移動させることができました。


30分ほど格闘して、ご飯を炊くことに成功しました。



『これで生きていける』



死ぬことはないだろう。


しかし、心配なので、予定より一日早く長野に戻ることにしました。



安心したせいか、眠くなりました。




逃走4日目

この日は父の観察をさぼりました。


『ご飯があれば生きていける』


頑張れ!




夕方、父から電話がありました。


Fか?」


「どうしたん 元気?」


「いやー 電話がないから大丈夫かなと思って」



父から電話をもらったのは初めてだと思います。


母が元気だった頃、母と私が電話で話していて、母が、


「お父さんに代わったげる


おとうさーん Fだよ 電話出て」


と言っても、電話に出ようとはしませんでした。


出ても、「Fか よく聞こえないけど*****」


と一方的に話して、母に受話器を返すという感じでした。


私との電話を煩わしいと思っているのではないかと感じていました。




「いやー 電話がないから大丈夫かなと思って」


そう言う父は、本当に私のことを心配しているという口調でした。



「それはこっちのセリフだわ 問題ないよ


日曜日にそっち帰ることにしたからね


それまで頑張って」



「帰ってくるの!」


「うん 日曜の夕方じゃな」


父は嬉しそうでした。





明日、長野に帰ります。



そこで目にした惨状は次の記事で・・・・・


Comments