母の闘病記 父の問題編

 父はもうダメです。


被害妄想全開で手におえません。


彼の記憶はかなりあやふやになっています。



人の話を理解できない


当日の出来事を忘れる


興奮すると、一つの文脈の中で言っていることが変わる



もはや、説明や説得は通用しません。



主治医の先生からは、『認知症です』と言われています。


『お父さんの様子から、脳神経内科の受診となると、ひと悶着あるだろうから止めておいたほうがいい 薬もないから』


と助言されました。




これ、どうしたらいいんでしょう。



父は何もできないのです。


私が長野に居なかった4日間の惨状は、もう記憶にはないようです。


「俺はちゃんとやってるんだよ!」


「あの酷い台所10時すぎまでかけて片付けたのは僕だよ

その間お父さんずっと寝てたよね」


「俺が片付けようと思ってたんだ!」


4日間溜め込んで できるわけないでしょ」


「そう言って 決めつけるな!!」



こんなアホなやり取りが続きました。



母の退院後の生活のために、電気工事や洗濯機の更新などを行っているのですが、


父曰く

「よかれと思ってやってるんだろうけど、僕になんにも言わないで勝手に進めてる」


なのだそうです。



実際は、洗濯機代の10万円は手渡しでもらいました。


電気工事も見積もりの前から話をしており、見積もり当日は父も居ました。


他にもいろいろ、『お前が勝手に進めてる』事があるようです。



私は、長野にいる間、ほぼ毎日こんな事で怒られています。


「お父さん忘れてるんだよ 洗濯機のお金出してくれたよね なんで?」


怒りだした父にこんな質問は無意味です。


支離滅裂な主張を繰り返すだけです。



母の退院後の生活のために、いろいろと整えているのだと言っても



「お母さんのことは俺が全部やる!」


「できないと思う だって、お母さんがどういう状態で退院するか分かってないでしょ」


一瞬、父の言葉が止まりました


S病院で主治医の先生と、お母さんのリハビリの目標立てたの覚えてる?」


「知らない!」


「お父さんと僕と先生で話し合いしたでしょ 覚えてないの お父さん隣に居たよ」


「聞いてない!」


「どういう状態でお母さんが帰ってくるか分からないのに、どうやって対策するの?」


彼の主張は覚えるのも困難なレベルに混乱していました。



「もういい!帰れ! 帰ってくれ!! なんで居るんだ!!」


また出ました。


「帰らんよ お母さんのためにいるんだよ」


「ここは俺の家だぞ! 出ていけ!!」


「お母さんの家でもあります」



もうどうにも止まりません。



母が倒れた日、父は母の異変に気づくことができませんでした。


半身麻痺で喋ることができない母を、『大丈夫』と言って放置していたのです。


母の面倒は自分が見ると言い張る父に、



「お父さん お母さんが倒れた時


お母さんの具合が悪いのわからなかったでしょ


お母さんは、また脳出血起こすかもしれないって言われてるんだよ


そうなった時にお母さんが具合悪いのわからなかったら


お母さん死んじゃうんだよ」



「はぁ!? いつの話だ!」


61日の夕方 お母さん、61日の夕方からそこで寝てたでしょ


あの時脳出血起こしてたんだよ。


僕がお父さんに電話して『お母さん大丈夫?』って聞いたら


『大丈夫 お母さんお風呂に入れるところだから』


とか


『大丈夫 お母さん着替えさせるところだから』


っていって電話切っちゃったでしょ」



どうも、未だに母の具合がいつから悪かったのか、分かっていないようでした。



「はぁ!?」


「お母さんの手術してくれた先生の説明覚えてる?」


「知らない! 聞いてない!」


「お父さん説明受けてるんだよ 忘れちゃってるんだよ」


「はぁ!?」


「お母さんは何回か脳出血起こしてて、


『最初の出血はもう固まっていて、掻き出すようにして取り出しました』


って言われたんだよ


61日の夕方に最初の出血があったんだよ


その段階で救急車呼べてたら、もっと軽く済んだんだよ」



61日? 前の日にお前が帰ったじゃないか!」


「そうだね」


「なんで気づかなかったんだ!!」


「お母さんが脳出血起こしたのは、61日の夕方だよ」


「何回も出血起こしてるって言ったじゃないか!! なんで気が付かなかったんだ!!」


それは、こっちのセリフです。


531日の母は元気そのものでした。


庭の花を詰んで生け花をしていたのです。


その様子はビデオに収めてあります。



父は、頭の中では、自分が初期対応に失敗したと感じていたのでしょう、


でも、それを、私に責任転嫁するのはどうかと思います。



もう、父は、まともに話をできる状態ではありません。


話したくない。



父の存在は、母の介護に影響します。


親子三人での生活を目指していましたが、


ここに、被害妄想があり、病的な依存体質の父の居場所はありません。



退院した母にも依存するでしょう。




数日前、父が『C病院を受診するのでついてきてほしい』と言ってきました。


私は、父の依存体質をどうにかしたいと思っていたので断りました。


「お母さんが帰ってきたら お母さん一人にはできんのよ


だからお父さんの病院に付き添うのは無理じゃからな


練習だと思って一人で行って」



「耳が悪いから 先生の説明が聞こえないから 代わりに聞いてほしい」



それならば、と一度は同行を承諾したのですが、


父は補聴器を持っていることを思い出しました。


「お父さん 補聴器持っとるじゃろ それ使ったらいいやん」


父は、えぇ!っという表情になりました。


「持ってるけど 付けるのめんどくさいんだよ」


「病院の時だけつけたらいいやん」


「分かってる! よく聞こえるんだよ!」


話が噛み合いません。


「お父さん お母さん帰ってきたらどうするの? お母さん一人では置いていけないからついて行けないよ。」


父はポカンとしていました。


「お母さんは右の視野が欠けてるから玄関から落っこちるかもしれないし、トイレも場所覚えられないから連れて行ってあげないとなんだよ。脳出血だって再発するかもしれないって言われてるんだよ」


「おかあさんを連れていけばいい」


「病気のお母さんを 用もないのに病院に連れていけるわけないでしょ。絶対ダメ」


「もういい」


と言って話が終わりました。



父は、母が、元通りの何でもやってくれる状態で帰宅すると思っているのです。




今日の言い争いの最中も、そんな発言がありました。



母のリハビリの目標は


『言語障害の改善と、食事とトイレとお風呂を介助付きで行える状態になる』


というものです。


父は、この事を全く覚えていませんでした。


『知らない! 聞いてない!』


「お父さん お母さんがどういう状態で退院するか分かってないのに


どうやって対策するつもりなの?」



「そんなの 退院する時にあっちでどういう状態か教えてくれるんだろ!」


「それじゃ間に合わないんだよ」


「なんでだ!」


「工事が必要ってなって『明日工事してください』なんてできないんだよ」


「なんでだ!」


「そこの電気工事だって、見積もりから2週間かかってるんだよ


一ヶ月かかることだってあるんだよ


お母さん早ければ一ヶ月で退院するんだよ


お母さんいつ退院するか分かってる?」



答えを言ってしまいました。



「早ければ1ヶ月後だろ」


「そう、624日に転院したから7月の終わりには帰ってくるかもしれんのよ


三週間しかないんだよ」


この後の父の発言は、もうあまりにも馬鹿らしいものだったので記憶にありません。


父は、元通りの母が帰ってくると思い込んでいるのです。




言い争いの後、父は私とは決別するというような事を言いました。




そう言った父は、私の炊いたご飯を食べているのですが。




そして、台所から冷凍庫のエラー音が響いています。


冷凍庫が開いています。


父が冷凍庫を開けっ放しにするのは三回目です。



私の食材が入っているので、父に一言言ってから閉めようと思います。








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