母の闘病記 父の問題2 依存の正体

 やっと父のことが理解できました。


受け入れられるかは別ですが・・・・



父との大喧嘩の際の、


『お父さんのお世話するのが一番疲れる』


『お母さんが調子悪い時に救急車呼べなかったでしょ


あのままだったらお母さん死んでたんだよ』



という私の言葉は、彼に大きなダメージを与えたようでした。



翌日の父は、シュンとしていて、


Fの好きなようにしていいから』


などと、私に気を使うようになりました。



大喧嘩の際、父が私に責任転嫁した


「なんで気づかなかったんだ!!」


という言葉は、特大のブーメランとなって彼にヒットしたようです。



私は、父が母の状態異常に気づけず、搬送が遅れて母が重症化したという事実を、父には伝えていませんでした。



この事実に全く気づいていない父には、ダメージが大きすぎると思ったからです。


下手をすれば、『心が折れて死んでしまうかもしれない』と思っていました。



この心配は杞憂に終わりました。


翌々日には忘れてしまったようです。



父の認知機能の低下は、私の予想をはるかに超えて進んでいるように思います。


そんな父が、自分の認知機能の低下を自覚できるはずがありません。


もう諦めました。



今日までの一週間、私は、岡山に帰っていました。


宅配の夕食を手配し、冷凍庫に1週間分のご飯とおかずを用意しました。


岡山に居る間は、父のことはできるだけ考えないようにしました。


見守りカメラも、できるだけ見ずにすごしました。


夕食の宅配サービスは、『見守り』がサービスの一つとなっていて、対面での手渡しが原則となっています。


対面での生存確認ができなかった場合は、私に電話をしてくれるようになっています。


父の生存確認は、お弁当屋さんにおまかせしました。


これでかなり気持ちが楽になりました。


岡山での一週間はあっという間に過ぎました。


行けなかった病院の梯子をし、母にわたすスマホの手配をし、ジャングルと化した庭の手入れをし、結局休むことなく帰ってきました。



『逃走』から長野に帰った際は、台所の惨状に愕然としたのですが、


今回は、『絶対に何もやっていない』という確信があったので


『やっぱりね 少しはましかな』


と思っただけでした。



認知症の父は、洗い物などできるわけがないのです。



父は二回ほど食洗機を使ったようでした。


しかし、せっかく洗った食器も、食べこぼし満載の汚いお盆に乗せていたので、


すべて洗い直す事になりました。


食器棚に戻された一部の食器も汚れており、洗い物は一週間分+αとなりました。


もう、この事で父を責める気はありません。


言っても無駄なのですから。



食器洗いは、食洗機にお任せです。


2日はかかりそうですが。



作り置きのおかずは、ほぼ消費されていませんでした。


これも、『次回からは用意せずともよい』というデータなので、それでヨシです。


これまで、父の事を『病的な依存体質』と書いてきましたが、


正確には『認知症による依存体質』なのだと思います。



ビョウキだからしょうがないよね。



『依存』する先が『私』でなくなればいいのです。


もう、素人がどうこうできる段階ではないのだと思います。


ケアマネージャーさんなどのプロに対処法を考えてもらう他ありません。




よろしくお願いします。





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