母の闘病記 父の問題 結論

 家出しました。


今、名古屋にいます。


もう長野の家に戻ることはありません。



またまた どうせ心配になって戻るんでしょ


いいえ 戻りません。


母との面会時だけ長野に帰ります。




やっぱり帰るんじゃん


いいえ ホテルに泊まって、翌日岡山に帰ります。



もう父と生活することはできません。



父の認知症は重症です。


被害妄想が酷く、どんな出来事も


「よかれと思って進めてるんだろうけど 勝手に進めるな!」


「俺のいう事を全然聞いてくれない!」


「なんでここにいるんだ! 出て行け!」



出てきました。



もう我慢の限界でした。


父は認知症なので説得も説明も無意味です。


彼にとっては、どんな言葉も


『自分を騙そうとする言葉』


にしか聞こえないのです。



加えて、父の依存癖は異常です。


家事は一切せず、私が留守の間、唯一やっていた電子レンジでご飯を温めるという事も、


私が帰ってくるとしなくなりました。



「ご飯どこにあるの」


「いつものとこにあるじゃろ」


「どこだ」


「ここだよ」



冷蔵庫を開けても、父は見ようともしません。


冷蔵庫のご飯のストックを探していたのではなく、『私が用意しているはずの温められたご飯』を探していたのだと思います。


今朝は、また朝食に魚がないと怒り出しました。


私と父は前回の大喧嘩後に



出来ることはやって下さい


ご飯はお父さんに合わせないから各自で用意して食べましょう



という約束をしていました。



今朝、私が朝食のトーストを用意していると、不機嫌な父がやってきました。


「食器片付けてくれたんね ありがと」


父は少し嬉しそうな顔になりかけましたが、


すぐに不機嫌モードに戻りました。



「お父さんまだ食べてないん? 


今日は料理しとらんから、いつものご飯食べてな


納豆と魚と味噌汁な」




父は不機嫌なままです。



そんなに自分で用意するのが嫌なのか?と思ったのですが、違いました。



「お前がいつも先にご飯用意して食べるから、どうしていいかわからないんだ」


「電子レンジで温めるだけじゃろ?」


「昨日の魚焼いてくれると思ってたのに」


?????



昨日の朝、父が魚がないというので、冷凍庫をあさった際に出てきたアジの干物の事でした。


アジの干物は出てきましたが、焼き網があまりにも汚く調理できる状態ではありませんでした。


私の留守中に、父が冷凍庫の生魚を焼きまくったせいです。


こびりついた油は簡単には取れません。



「魚焼く網が汚いから焼けんな セブンイレブンで買ってくるわ」


そう言って、セブンイレブンまで焼き魚を買いに行きました。


4パックの焼き魚を購入して帰り、


父は大人しく朝食を済ませました。



で、今朝です。


私は、昨日から今朝まで、アジの干物を調理するとは一言も言っていません。



「網が汚いから焼けんって言って、コンビニで魚買って来たじゃろ


まだ3パック残っとるよ」



「アジの干物焼いてくれると思ってたのに!」



私は一度もそんな事は言っていません。



「網が汚いから焼けんのよ これでよくない?」


パックの焼き魚を手渡しました。


父は、渋々パックの焼き魚を電子レンジにかけました。


父の抗議は止まりません。



「網が汚いからしょうがないでしょ」


「俺に洗えって言ってるのか!」


「洗わんでいいよ 大変やで」


「俺は洗ってたんだぞ!」


洗ってないから汚いんだけど・・・・・



「俺はこの家の主だぞ!」


主のために魚を焼くのはお前の役目だろう!ということのようです。



「僕はお父さんの奴隷じゃないです。」


「奴隷なんて言ってないだろ!」


「僕お魚買って来たじゃん 何で怒られなきゃいけないの?」


「怒ってないよ!」


「どう見たって怒ってるじゃん 怒ってない人はそんな喋り方しないよ」


「お前がああだこうだ言うから怒ってるんだ!」



もうどうにもなりません。



私はトーストが焼けたので食卓につきました。



背後から


「あの通帳何処にあるんだ!」



昨日の父の通帳のことです。



「昨日と同じところだよ」


「何処だ!」


「お父さんの服入れてるところ


こっち来て」



父に通帳の保管場所を教えました。


取ってよこせとジェスチャーをしました。


書類の束から父の通帳を渡しました。


印鑑を渡すと


「何だこれは!」


なぜか激怒されました。



「銀行は、通帳と印鑑ないとお金下ろせんよ」


「分かっとる!」



残りの書類と母の通帳を戻そうとすると


「何してるんだ!何だそれは!」


「これはお母さんの通帳 お母さんの通帳はお母さんしか使えんのよ」


「お母さんの!!」


「はい もうお父さんしまったらいいやん」


通帳と書類の束を父に渡そうとすると


「お前が戻しとけ!!」


父の怒りはおさまりません。



もう本人も、何に怒っているのか分かっていなかったと思います。



私の全ての行動が怒りの対象なのです。



「お前はよかれと思ってやってるんだろうけど


俺に黙って勝手にいろいろやって」


「いろいろって何」


「一番近いのは貯金下ろすのだ!」


「勝手になんかしとらんよ お父さんが暗証番号分からないって言うから銀行行こうって話でしょ」


「俺はうろ覚えの番号でやってみようと思ってたんだ!」


「昨日の晩御飯の時、どこの お金下ろす機械(ATM)で試すかって話になって


どうせ銀行行くなら窓口でお金下ろそうってなったんだよ


勝手になんて進めてないよ お父さんが言ったんだよ」


「もう付いてくるな 俺は一人でやる!!」


「そうして 僕が勝手にお金下ろしたとか言われたら困るから」



まあ、この後思い出す気にもならないアホな話があって



「何でここにいるんだ! 出て行け!」


と言われました。



罵詈雑言の嵐に、もう我慢の限界でした。



「出てくわ」


朝食のトーストとミニトマトは手付かずでゴミ箱に捨てました。


荷物をリュックに詰め、入り切らない荷物は、段ボールに詰め込んで宅急便で送りました。


家の前で自撮りをし、家を後にしました。


私はこの家が好きでした。


最後の記念写真です。



父が存命中は、もう、ここに戻る事はありません。


サヨウナラ




1730

家に着きました。


ホッとしました。



1824


父から着信がありました。


「なに」


「お前どこに居るんだ!」


「岡山の家におるよ」


「なんだ!黙って帰るヤツがあるか!!」


「出て行けって言ったのはお父さんや」


「出ていけって何回も言ったけど 今がどういう状況か考えろ!!


俺は何を食べ(ればいいんだ!!!)」


遮りました。


「出て行けって言ったのはお父さんや」


電話を切りました。



補足しておくと、父の言いたいことは



主である俺の食事を用意するのはお前の役目だ!!!


それをせずに黙って帰るとは何事だ!!


俺の夕食はどうなるんだ!!!



ということです。



父が認知症であることは理解しています。


認知症で攻撃的になる事がある事も分かっています。


だからといって、私には、それを許容する事はできません。


もう、限界でした。


あのまま、あの家にいたら、私は、


死ぬか、うつ病になっていたでしょう。



私が倒れたら、母の居場所がなくなってしまします。


母には、退院後は、岡山で過ごしてもらおうと思います。




父の事は、ケアマネージャーさんに一任する事になりました。


さようならHさん

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